阪神印刷株式会社と、阪神大震災のころ

パーソナルコンピュータが爆発的普及を見せた以前「電算写植オペレーター」や「DTPオペレーター」という職種がありました(って、今もあるのかな?)先代社長が死去し、うるさ型(顧問のような方)も引退され、二代目社長になった、今はなき阪神印刷株式会社のお話です。「従来と同じようなことを、同じようなやり方で、同じことばかりしていると、変わり続けないと失敗する」という典型例です。ここからスキルチェンジするのに、僕から商業印刷臭を抜くのに、大変苦労しました。

平成5年の夏、正直申し上げて、爆発物危険物を扱う類の機械設計に疲れた僕は、なぜか兵庫医科大学病院(阪神武庫川)の神経科の椅子に座っていました。神経症、という診断でした。今でいう「テクノストレス」という意味です。僕はなぜこんなところにいるのだろう。なぜ、ぼろきれのようになって、ハルシオンをもらいにここまで通っているんだろう。確かに、自分の無力さの所為ではありましたし、カグラという会社風土に負けた自分が第一義的に悪いのですが、周囲も悪いし無理解であった、ということも漠として思っており、通院そのものは1か月程度で止み、症状も治まりました。

さて、尼崎市中小企業センターの1階ホールで毎年秋に行われる、ハローワーク主催の「合同求職説明会」にプラプラと寄ってみました。なんか、情報技術を活かせる、いいところがねえかなあ。そろそろ職を見つけないと、親と一緒に共倒れになんねんけど、と思って、どうもなかなかしっくり来るところがない。営業という柄でもなし、とはいえ、何の専門があるかというと、多少小器用にコンピュータを触ることが出来る。調理師免許があるわけでもなく、大型免許や二種免許があるわけでもない、ただそれだけでした。終了間近の午後4時になって、ふと、だれも来ない暇そうなブースの、人の好さそうな、バーコードヘアーの豆みたいなおじさんと、はたっと目が合って、思わずお会いすることにしました。阪神印刷株式会社、総務部長、飯田茂昭さんでした。

なんでも、取引先は、タクマ、極東開発工業、神戸松蔭女子学院大学、尼崎市役所、尼崎市教育委員会、尼崎商工会議所、そして、あのカグラインベスト(当時)でした。お互いに驚いたのは言うまでもありません。「なんと、弊社の取引先!」「そうです」職種は、電算写植オペレーター。配属先は、工務部写植課。「コンピュータがいっぱい入っているよ、来て見てちょうだい」というわけで、意気投合した我々は、さっそく飯田さんが最初に採用した人となったわけです。

まあ、驚いたのは、だれも使いこなせていない、Windows95 (PC9821) が、後ろのほうに、ごろりと置いてあって、あとは、写研 Saptron μ5という、どでかい電算写植機と、植字機 Sapcol という「一寸の巾キーボード」という、へんと造りを押してやっと1文字を出すという、想像を絶する時代遅れの品々。主任は白衣を着ており、どこかの博士風情で、なんなんだろうここは! と思いましたが、それで挫けるわたくしではありませんでした。まず、1文字2byte4円で外注に出していた打鍵を一手に担って、とりあえずキーパンチャーに徹しよう。それで、コストカットにつなげました。幸いにして、PC9821 には、変換ソフトと8インチ/5インチFDDがついており、HDDもなかなかの容量で、いい感じでした。それで、月間数千円~数万円出て行っていた外注費を削減し、尼崎商工会議所さんの(日本商工会議所さんの)「キータッチ2000」なる資格が当時あり、これは何かと言うと、タッチタイプの性能を測る試験であり、僕の場合、端折らないヘボン式ローマ字で打鍵しているくせがあったので、速度的には1,300文字/10分なのですが、変換の正確さ、原稿の意図を読みながら打鍵するミスの少なさで、逆に校正のおじさんと、どちらが国語表現的に正しいのか、やりあうまでに至り、それなりの評価を得ていました。版組というか、今でいうページレイアウトを作る人は、それに集中できるので、文字を流し込むだけで良いようになりました。

しかし、1995(平成7)年1月17日、阪神大震災。尼崎市東難波町の社屋は全壊。3階のトイレの水が1階に漏る、電算室は、悉皆モニターが蹴飛ばされたように落下しており、よくぞ壊れなかったな、という気持ちで一杯でした。僕自身、老いた母親に何かを食べさせて、飲ませなければならない。例えば、水道水を入れるポリタンクを求めて、最悪の場合、京都市か琵琶湖(滋賀県大津市)まで行くつもりで、さくらJCBカードと、ありったけのATMで出した現金を元手に、阪急塚口まで行くのですが、ダイエーが開く気配は一切なし。園田、神崎川、十三。そんなところにあるはずもないので、阪急京都線に乗り換えて、急行で茨木市、高槻市。いずれも、ガソリンスタンドに至るまで電話をかけて聞いたものの、スーパーにもなく、阪急長岡天神駅で降りて、コンビニ(ヤマザキデイリーストア)で聞いた情報によると、約1キロ先に金物屋さんがあるということを聞き、なけなしの銭で阪急タクシーを拾いました。運転手さんによれば「1キロ先じゃないよ、軽く5キロはあるねえ、お客さん、歩いてなくて本当によかった」ほっとしました。タクシーを待たせて、金物屋のご主人の登場です。「なんと、あまがさきから! よう来なさった! ささ、京都市から仕入れたてのポリタンク、持っていきなさい」「あのー、なんで僕がポリタンクを買うって分かるんですか?」「せやかて、午前中に神戸ナンバーの車が、大挙して押しかけて、ポリタンクを買い占めて行きよったさかいに」「……」そのまま取って返すと、梅田方面のホームで、ありったけの「阪急の水」を2個のポリタンクに積む、当時25歳の田所。京都方面のホームで、駅員が2名ほど耳打ちをしてひそひそ話をしていたのですが、僕がそっちを見ると、何事もなかったかのように業務に戻られ……。電話は発着信規制がかかっていて、ハウディというNTTの電話機のインジケーター表示は、赤い点滅を繰り返すまま。会社に連絡もできません。携帯電話なんかないです。そんな時代じゃないのです。電話がつながらない、それもそのはず、山陽新幹線の高架が、地面まで落ちていて、電話線をぶった切っていたのでした。それじゃあ、物理的につながらないはずですよ(笑)

ネットウイングス 設立準備室 田所憲雄 拝

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