越年入学した、千葉県立千葉工業高等学校のころ

えー、成績はそこそこだったのですが、昭和61年当時、気管支喘息があり、医学もそんなに発達しておらず、県立成田西高校(成田国際高校)で、当時新設校の千葉県立冨里高校普通科を受験したのですが、保健室受験となり、まだ、ハンドネブライザー(発作止め)も、ザイザル錠も、あまつさえ、シムビコート吸入や、ポララミン錠もなかった時代です。吸入器と言えば、順天堂医院で購入したコンプレッサー式のものであり、入学試験の最中に、大発作を起こしたものですから、親父がトヨタのコルサで駆け付けて、コフー、コフーとやっていたものですから、試験監督官がひそひそ話を始めるのです。「ああ、これは無理そうですね」「そうですね」みたいなお話から、試験は中断。帰宅することになり、諸般の事情により私立の東京学館高等学校(印旛郡酒々井町)を併願することもできず、冨里高校はアウト! ということに相成りました。

まあ、今から思えば、アレルギー発作を起こしたのは、自分の体質ではあるものの、自分が起こしたくて起こしたものではないので、私立併願ができなかったので、やむを得ず肩身の狭い思いをしたことがあった、15歳の春でした。まあ、七栄まで通うことから考えれば、電車で蘇我に通った方が気晴らしにもなり、コンピュータが学べる、即、手に職がつくということを考えれば、それはそれで結果オーライだったのかも知れませんね。例えば、成田学区で次年度に普通科を目指せば、同い年の先輩がいるわけでして、これは腹が立って仕方がない。残念ながら、女子ではなかったので、千葉女子の家政科を目指すわけにはいかなかったので、千葉商業高等学校・情報処理科と、千葉工業高等学校・情報技術科という2つの選択肢があったのですが、当時は商業系の知識を涵養するという発想がまるでなく、チクチクとプログラムを組んでいる方が愉快で面白そうだ。そんなわけで、横さんという愛称で呼ばれることになる、いささかガッツあふれるこの学校に決めたのです。

たぶん、この学校に行っていなければ、いまこれだけ Windows の高度なトラブルシューティングは一切できなかったでしょうし、ポリテクセンター兵庫で学び戻すにも苦労していたかと思いますし、何よりも、未だに飯のタネになっている。先生方、友人には、遅ればせながら感謝している次第です。

ネットウイングス 設立準備室 田所憲雄 拝

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