学校で三公社五現業と習った昭和レジェンド世代のノスタルジー

三公社五現業とは、かつて存在した国の公営企業を指します。三公社五現業という言葉を小学校・中学校で習った最後の世代なわけです。中曽根康弘さんが三公社五現業を解体したしたことは、効率化、技術の進歩、グローバライゼーションという面で功を奏したのですが、それは大いに認めますが、同時に、三公社五現業(日本専売公社・日本国有鉄道・日本電信電話公社など)が解体されたあとの、時に行き過ぎる商業主義、もっと言えば金儲け主義、際限のないグローバライゼーションに辟易するときに、そんな三公社五現業という響きが懐かしく感じる、実に微妙な世代なんです。完全に昭和でもなければ、完全に平成でもない世代なんです。きっとそれは、三公社五現業が、高校時代に廃止されたからかも知れませんね。


確かに、儲からないよりは、儲かることはいいことなんです。貧乏は悪なんです。貧乏や赤字はダメなんです。しかしながら、平成も29年になり、お里違いの日本人モドキがえげつない商売をしていたり、フィンテック、マネタイズなどといった言葉のもとにえげつない商売がまかり通って行く冷ややかな真実を見るにつけ、それを体験するにつけ、時に「三公社五現業」という時代の、拝金主義よりも、日本国民として襟を正していたそんな時代が、今考えると不自由でもあり、襟を正しているようでもあり、きっちりしたことが好きな日系日本人なので、際限のないグローバライゼーションは果たして日系日本人から見て本当にすべてがジャスティスなのか。もうかりさえすれば、手段は選ばなくていいのか。他人をだまくらかしても、てめえは豊かに生きる、そんな姿勢が果たして正義なのか。そんな大事な一点を、絶対に忘れちゃいけないと思う昨今です。

新しいことを取り入れるのが好きです。もし将来、ここが企業の形を取るとしても、新しいことは取り入れないといけません。同時に、生ける昭和レジェンドとしての頑固さというか、頑なさ、日に日に失われていく日本国の日本国らしさに、特に変転の激しい情報業界に身を置いている人間として、これはやめるべきだというものがあるのと同時に、これは失っちゃならない、忘れちゃならない部分があると、いち日系日本人として強く信じています。一部の労働組合の時に行き過ぎるエゴイズムもどうかと思うのですが、反面、一部の経営者の時に行き過ぎる拝金主義、商業主義、成果主義もどうかと思うのです。新しいことをしてはいけないとは言っていない、むしろ新しいものはどんどん取り入れなきゃいけないと感じています。ただ、それは人に優しいものか。理にかなっているものか。それは正義か。人をだまくらかしていないか。我が我が、になっていないか。盲目的な欧米追随になり、日系日本人としての本分を見失っていないだろうか。

場をきれいにしようとするあまりに、強い農薬を撒き、野に咲く可憐なシロツメクサまで根絶やしにしていないだろうか。老朽化という名のもとに、建て替えなくていい歴史ある建物まで建て替えてはいないだろうか。新しいものごとを、最初は疑いながら飲み込んでみる。人として飲み込めるものならば素直に飲み込む。人としてこれは食えないというものは直ちに吐き出す。今すぐ変わっていいものと、誰が何と言おうと絶対に変えちゃいけないものをハッキリ分ける。人はそれを是々非々と言います。人はそれを分別心だと言います。そしてそれは商道徳の形を取ったり、人間としての常識という形を取ったりするのでしょう。

自分で答えを出して、自分で生きるとき、このようなことに迷うとき、戸惑うときに、ノスタルジックな「三公社五現業」という言葉が脳裏をよぎるのです。それは、決して頑固なんじゃなくて、それは伝統的でありながら、変わり続けることも忘れない、そんな矜持です。気持ちのありようです。

ネットウイングス 設立準備室 代表 田所憲雄 拝

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