冴えない彼女の育てかた♭ 昔の自分を見ているようだ

本作では「ブレッシング・ソフトウェア」という同人ソフトウェア(ゲーム)サークルを、おたく男子が主催し、なぜか女子複数名に囲まれて、ソフトウェアができちゃう。高校生なのに。そして、コミックマーケット的などこかで物凄く売れた。

1982年、僕は二人称が「おたく」だった。宅八郎がまだ世に出る前のお話。千葉の田舎の日吉台ニュータウンという、まだ空き地だらけの造成地を斜めに走ったり、探検したりしたころ。サニーパークハイツ成田(富里市なのに)に当時住んでおり、まあ、純粋培養の無自覚なおたくとして育っていった。

まだ、コンピュータが、そんなに高性能じゃなかった頃、イラストや漢字が出るなんて思えなかった。ワープロ専用機がようやく普及し始め、ゲームの世界では、ファミコンやMSXやセガなどが流行っており、こんな高度なゲーム開発は、一般の人間には不可能だった。

当時、親父が米国コダックの8ミリフィルム撮影機・映写機を持っており(もう壊れかけだったけど)そして、JR船橋駅前の東武デパート(当時)の東映アニメブース「アニメポリス・ペロ」に、セルと原画用紙を買い込んで京成電車で帰って来て、コマ撮り撮影をしようとするのだが、一瞬で終わってしまう。現像代が勿体ない。そして、結構白熱電球が暑かった。その名も「アニメーション・クラフト」と名付けていた気がする。

今思えば、AR台本も、脚本も、画力すらもなかったのに、セルの絵の具がないから、原画用紙を1枚1枚撮影した。作品名などまだない。それにしてもまあ、勉強もせずに、よく頑張った(笑)と思う。いま、これだけの年月をかけて、もう齢47になろうとしているこの頃、冴えない彼女の育てかたを見て、ああ、俺もおたくの先駆けだったなあ。もう卒業はしたけれどね。という感想を抱いた次第です。

今思えば、自分なりに「アニメーション・クラフト」という、自分の看板を背負って、何かを作りたかったのだろうと思い返すのです。株式会社スラッグウール工業所が、事実上、横尾家から手離れして、親父が新日鉄化学の嘱託職員になったばかりのころ。親父が失った夢の何かを、自分なりに取り戻そうと子供心に思っていたのかも知れないのです。

小鳥の名は「ハッピー」しかし、小倉南区山手の家は、人手に渡った。「ハッピー」という名のセキセイインコの行方は誰にも解らない。親父が「有限会社九州グラスロン」で作ってくれた、オーバースペックなセキセイインコの鳥かご。FRP製、前面だけ金網。小鳥のハッピーが幸せになれなかった以上に、わたくしの家族は「ハッピー」なるものを失った。実の親父が、手形の裏書(保証人)詐欺に遭った、脱税して破産した、なんて事情は、9歳の子ども心には全く理解の範疇を超える商取引だったけど、なんとなく、家じゅうから「ハッピー」な気分が失われて行った。そのことだけは、間違いがないのでしょう。

ネットウイングスが、この先ハッピーでありますように。

ネットウイングス 設立準備室 代表 田所憲雄 拝

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