阪神印刷株式会社で「一寸の巾式キーボード」が、それこそ幅を利かせていた時代(JAGAT, ほか)

この機械、一体何だか分かりますか? わっかんねーだろうなあ。切符を販売する、国鉄時代の「マルス」じゃないですよ。日本語ワープロや、DTPソフトが出る前の「写真植字研究所」略して「写研」製の、文字入力が、ため、だけのコンソールです。これが、阪神印刷株式会社(2000年倒産、兵庫県尼崎市)入社時に、堂々と動いていたことに、かなりの衝撃を受け「これは、どげんかせんといかん!」と内心思いましたね。情報技術者的に、燃えましたね! よし、改革してやるぞと。旧弊を一掃してやるぞと。なんじゃこりゃと。109キーボード操作に既に慣れていた僕は、手動写植機の延長線上だったこの「ブツ」をマスターしようにも「一寸の巾式キーボード」がどうにもこうにも理解が出来ない。へん(左手)とつくり(右手)を同時押しして、ようやく1文字を打鍵する。記号は記号で別にあり、外字は外字セットとして、あのペラペラをめくって選ぶんです。ああ、おお、気が遠くなるー。思い出すだけで、アタマ痛いー。

電算写植システムの開発(その3)

本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。 ■スタンドアロン型全自動写植機の開発 電算写植システムの一層の普及を図るためには、システムの小型化や低価格化が必要になった。その最初が、1972年に発表した新聞社向け本文専用のSAPTON-N12110である。 本文用レンズ1種類、新聞扁平明朝体文字盤1枚を装備し、35mm幅ノンパーフォレイティブ・ロール感材を装填し、印字速度は毎分1,500字だった。前述したように新聞組版用の組版ソフトウェアを内蔵し、編集組版用ミニコンピュータを経由することなく、直接SAPTONにオリジナルテープを入力すれば組版して印字することができるようになり、紙面制作時間を短縮することができた。 1975年に発表した新聞社向け本文専用のSAPTON-NS11では、新聞社向けのSAPCOL-HNをベースにして、共同通信社配信記事体裁の自動判定、問答処理、ダブルパンチ削除、行頭行末禁則処理、株式・相場欄組版、ラジオ・テレビ番組欄、箱組、赤字訂正などの組版処理を可能とするとともに、35mm幅ノンパーフォレイティブ・ロール感材に文字を90°回転して並び替えて印字することで、最大95字詰めの前文も組版処理して印字することを可能とした編集組版ソフトウェアを内蔵した。 また、紙テープさん孔機も装備し、内蔵した編集組版ソフトウェアには全自動活字鋳植機用の組版済み紙テープを出力する機能も持たせ、活版組版から写植組版への移行の橋渡し設備として導入する役割も持たせた。 1977年に発表した新聞社向けSAPTON-NS26D(図9)は、文字サイズが1倍扁平、110正方、1.5倍正方、2倍正方、20Uの5種類、明朝体とゴシック体の2枚の文字円盤(1枚に7,080字収容)、グループ外字(4枚で192字収容)、モノ外字(8字)、紙テープさん孔機を装備した。感材は最大200mm幅までの広幅感材1種類と35mm幅感材を同時装填可能で、印字速度は毎分1,500字であった。 また、この機種から、共同通信社の新たな文字コードCO-77に対応して収容文字数を大幅に増加させるとともに、従来のCO-59コード入力に対応する機能も組み込んだ。内蔵する編集組版ソフトウェアには、案内広告や選挙組版など事

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こーんな感じの、ちょっとした乗り物ぐらいの大きさのオフィスコンピューター? みたいなものが唸りを上げて動いており、それを「主任」と呼ばれる白衣を着た人間が、なんだか難しそうにオペレートしている。冷房の効いたクリーンルームらしきところで。それにも衝撃を受けました。ここはどこだ? いつの昭和やねんと! この当時、部屋の後ろのほうで、さみしく Windows 95 マシンが1台あったので、そこに、8インチ外付けFDDドライブと、変換ソフトが放置されていて、布(きれ)が被(かぶ)さっていた上に、ほこりをかぶっていたので、僕は「よし、これを利活用しよう!」と思い立ちました。ははーん、みんな、よう使いきらへんのやなと。そこに、お膳立てされて、用意されているということは、これは何かのヒントだろうと。これは、僕に何かをしろ、という暗黙の了解かと。よし、やったろうじゃねえかと!

業務フローとしては「一寸の巾文字入力」→「大型の電算写植機にかける」→「印画紙ロールを現像室に持っていく」→「写真植字と兼用の現像機に通す」→「製版課で文字をアナログマンガの原稿のようにペーパーセメントでくっつける」→「スキャナートと呼ばれる機械でネガポジ反転させたフィルム状のものにする」→「それを切り張りして、密着焼きと呼ばれるアルミ製版マシンで光を照射する」→「光を照射した部分にインクを載せるために今度はアルミ板を現像する」→「初めてオフセット輪転機にかけられるアルミ刷版のかたちになる」→「階段を降りて、印刷課に持っていく」……これでは、コスト競争どころか、資源の無駄遣いも甚だしい。なんとかなんねーか、と思いましたね。

まず、109キーボードのローマ字打ちの方が、覚えるキーの数が少なくて、早くて良いよ、イマドキだよ、という提案をし、まず若い子から巻き込みました。若い女の子が覚えると、打鍵が早い。そして、職場の友達にも教え合いっこする。僕の手から離れた。これにより、今まで1文字(2バイト)=4円で外注していた文字入力費用を完全に削減しました。

それから僕は、新しく導入された組版システム、SMISOL(当時)の「EDIAN PLUS」(産経新聞社などが採用)や、モトヤの「AXIS」(大阪の元和文タイプライターメーカー製の機械)などを担当することになったので、その後、あの大型の電算写植機が、どうなったかあまり詳しくはないのですが、とりあえず、粗大ごみにはなったでしょうね。専用の現像室もひとつ減りました。オレはやったよ、合理化をね。それでも、Windows 98 が出てくると、もう、アルミ刷版代金だけで、そこそこ、良いパソコンが買え、良いプリンターが買え、そこそこ良いワープロソフトが、各企業で使えるようになると、阪神印刷株式会社そのものの存在意義を失うのです。仕事は閑古鳥が鳴き、毎日がキーボード磨きの日々。画面磨きの日々。

まあ、2000年正月に、尼崎市三反田町の阪神印刷株式会社は、第一次希望退職者募集。そこにのっかり、会社都合退職しました。その後、残務整理をしていた少数の社員さんも、2月には全面退職。版下、フィルム類を全部各企業へ返した後、僕はもう、そこにはいませんでしたから、何が起きたのやらサッパリです。その後、和菓子工場になったり、いろんな工場になったりしましたが「阪神印刷株式会社の呪い」(?)といいますか、そういったジンクスか何かで、長続きしない企業が続出したそうですよ。なんだかさみしいねえ。

なので、おっさんの打鍵が著しく速いのは、むかし日本商工会議所が「キータッチ2000」という資格を提供していた時代に、その資格を持っていたためなんです。そして、おっさんの画像が軽いのは、ひとえに、JAGAT(ジャガット)神戸のDTP短期職業訓練を行ったためでして、まあ、時代は流れます。今では、Adobe InDesign が使えなければ、DTP業界に再就職も困難です(涙)

堺屋太一先生がその後、大阪産業創造館の講演で仰っていたのは「どんな産業でも、隆盛を誇った産業でも、同じ形で存続できるのはだいたい30年ぐらい」だとか。その言葉をポッケに入れて、おっさんはますます進化します。進化していないと、時代に置いて行かれるからです。

そして、おっさんが若い人に言いたいのは、むやみやたらに、新しいもの好きになる必要はないのですが、とはいえ、現状維持ではやがて陳腐化し、そして淘汰されます。わたくしの経験が証明しています。なので、少しずつでも、今まで知らなかったことを、知るようにする。知らなかった自分を恥ずかしいと思うようにする。年齢が幾つになっても、わずかな変化を恐れない。むしろ、周到な根回しで、周囲の理解を得ながら、改革を図っていく。どこにいても、何をしていても、こういうささやかな「IT革命」を、自分なりにして来たつもりです。ではでは、おっさんの昔話でした。

ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝

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