「体験を味わわせる」つまり「エクスペリエンスをテイスティングする」……なんかおかしくね?(NetwingsJ)

そもそも、これをそのまんま英語にすると「日本では、エクスペリエンスを、テイスティングするんですか?」と外人さんに問われそうです。

味わわせる。体験についてではなく、料理については違和感は生じないのですが(個人的に)ところが、体験を味わわせるとなると、なんかおかしくね? という疑問も生じますし、何だか上から目線なような気がして、この表現だけはあまり好きにはなれません。よほど特殊な体験をした場合。それでも「体験をさせた」でいいんじゃないのかな? よく分かりませんが。「おお、アイツ、体験を味わいよった!」という、含み笑いさえ聞こえて来そうな大人のエゴというか、そういうニュアンスが見え隠れするようで、僕は自分の子どもが出来ても「誰それは体験を味わいよった!」とは、よう言いません。皆さんはいかがでしょうか。素朴な疑問です。なんかどこかで引っかかります。「苦労を味わった」と1人称では分かりますが「苦労を味わわせる」まだしも分かる。ところが「体験を味わわせる」になると、よけいに何か引っかかる。

穏当な表現にするならば「生徒たちは体験を分かち合った」つまり「生徒たちは、エクスペリエンスをシェアした」ぐらいなら、まだしも意味が通るような。考えすぎですか?

阪神印刷時代に、PTA会報を打鍵してみて思ったのです。体験は「味わわせる」ものじゃなくて「する」ものだよねと。「生徒たちは貴重な体験をした」ぐらいが穏当な表現なのかな。

ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝

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