9月12日~13日は、一生忘れられそうにない「最後の親孝行」(NetwingsJ)

亡 田所郁子儀 八尾市の斎場にて仏式(浄土宗)において執り行い、近親者のみの葬儀となりました。10年前、痴ほう症がやや進み、サンフォート武庫之荘に送り出した時には、このような状態でした。

9月12日、午後2時に、病院から「お亡くなりになりました」の報せを受けて、阪急電車と、地下鉄谷町線と、近鉄大阪線・近鉄山本駅から僕が近鉄タクシーで駆けつけた時には、たまたま芦屋の家に居合わせ、高速道路で先に駆けつけていた、従兄親子(伯母さんを乗せて)到着していました。母の後見人さんも到着をしており、後は僕の到着を待つだけでした。

その後、従兄親子(伯母さん)は、ショックで体力を失い、後は任せた、という形で、後見人さんと一緒に、タクシーで斎場へ。僕は、阪急武庫之荘から、2度通うこともためらわれたので、その日の夜は、斎場泊となりました。

あまりにも変わり過ぎた顔を撮影するのに憚られたので、寝床を用意してもらって「最後の親孝行」をしました。死因・敗血症。87歳7か月の生涯でした。一睡も出来ませんでした。暴走族がその日、たまたまやかましかったことと、遺体とご対面しながら直視できずに、それでも1時間に1度は灯りをつけ、線香をあげ、リンを1回鳴らし、南無阿弥陀仏を何度も唱えました。

翌朝、八尾市高安地区にあるその斎場に現れた後見人さんと一緒に、お花を手向けてもらえました。また、撮影してはダメだと思って撮影しなかった母のお棺には、斎場さんの粋な計らいによって、大量の生花を(サービスで)付けてもらって、全身に散らしました。そこは、撮影していないのですけどもね。

後見人さんからは、百合を中心とした、可憐な花が添えられました。阪神間モダニズムを体現し、大津の女学校に通い「花の生涯」とも呼ぶべき人生を送った母です。なので、医療・葬儀関係者にお願いをしました。「花のように生きてきた人ですから、花のように枯れていくようにしてあげてください」とお願いをしておきました。それが、色とりどりの花に囲まれて、今風に言うと「映える」画像になりました。

そして、今しがた、すべての手続きを終えて帰って来たのです。みんなにありがとうを言い、お母さんには「かあちゃん、今までお見舞いに来れなくてごめんよ、成仏してや!」「お母さん、あなたを武庫之荘にもう一度連れて帰るからな!」と言いながら徹夜で線香をあげていた次第です。また、生前母が好きだったラテンの音楽「トリオ・ロス・パンチョス」の「べサメ・ムーチョ」という音楽を枕元で携帯電話で聴かせました。聴こえるはずなどないというのに。

最後の親孝行を終えて、JR久宝寺から、大和路快速で、大阪へも天王寺へも行かずに、大阪環状線西九条から阪神電車に乗り、快速急行で尼崎まで1駅です(阪神なんば線)早く尼崎市の景色を見せたくて、阪神尼崎で降り、「お母さん、ここが西難波(2号線にしなにわ、母が生まれたところ)やで!」「お母さん、ここがケアベストやで!」そして、阪神バス尼崎宝塚線で昆陽里(こやのさと)に着くと、僕は小声で「お母さん、ここがイズミヤ昆陽店やで! 一緒に買い物行ったわな!」と、お骨に向かって、ささやきながら帰って来たのです。

最後の親孝行ができた喜びに満ちています。みんな、みんなに、ありがとう。

ではでは(・∀・)ノ

パソコンのお医者さん 服喪中 ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝

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