田所郁子(実母)を、二度助けた(NetwingsJ)

一つ目のことです。ある日、実母が、旧6棟のトイレのドアの、上部の金具にネクタイを連結して、首をくくろうとするところを、全力で止めました。全身を持ち上げて。おかげさまで一命を取り留めたものの、その後、ひどい褥瘡と、バセドウ病が残りました。それがまず一点。

二つ目のことです。入所していた老人介護施設から夜間電話連絡があり、羽曳野市の老人ホームの浴室で実母が転倒し、後頭部をしたたか打って、くも膜下出血で、一刻も早く脳の内圧を下げないと命に関わるというので、代理の男性の人に「とにかく早く手術をしてくれ、田所憲雄と代筆して、何が何でも早くオペしてくれ、命がかかっているんだ」という旨連絡をして、血を抜く手術に成功して、一命を取り留めたことがありました。深夜だったので、羽曳野市へ行く電車がなかったのです。

そして、今年9月12日、母は大腸がんと、肝臓がんから来る、敗血症で亡くなりました。87歳でした。死にたくなくても人はやがて死んでいきます。中には、生きたくても生きられない人もいます。そして、そんなに簡単に、人って死ねないものです。ふっと買い物に出かけるような調子で、中にはお亡くなりになられる方がおられるものです。それも事実です。

両親を見送って来ました。親父の骨は、堅く、頑丈なものでした。ところが、それに比べて、母の骨は、経産婦ということもあり、もろく、儚いものでした。紙の張り子のような薄さの箇所もありました。こんな身体でも、生きとるわ! という母の強がりが聴こえて来そうです。

田所郁子さんは、そうして、花の生涯を閉じました。せがれはいま、脱力感に満ちています。アタマが痛くてしょうがないのです。これだけ母の故郷で頑張って働いて来たのも、母を食わせるためでもありました。母という存在がいざ取り除かれると、はて、僕は何のために兵庫県尼崎市にいるの? という気にならなくもないです。千葉県千葉市で「素朴なエンジニア」として生きて行ったら、また違った人生だったかも? という気がしなくもないです。(でも、今になって千葉市へ帰れ、とは言わないでおくれよ)

眠ることを脅かされるような、怖い恐ろしい住宅にあちこち住んだこともありました。プライバシー? 人権? そんなものありませんでした。25年経ち、30年経って、ようやくそれに配慮した住宅に住むことができるようになりました。千葉市誉田から、段ボール12箱だけの荷物で、兵庫県尼崎市に帰郷してきました。それが平成3年10月1日のことです。

さて、悲しいニュースは続きます。竹内結子さんのことです。ご家族の皆様におかれましては、心痛いかばかりかとお察し申し上げます。謹んでお悔やみ申し上げます。

パソコンのお医者さん ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝

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ネットウイングス田所です。キャリア31年目のオジンです(笑)兵庫県尼崎市在住。Microsoft Partner Network に加入中の、パソコンのお医者さん。 県立千葉工業高等学校情報技術科卒。「ITはちょっとね」と仰る方ほどご覧いただきたい。フォローされる方、パソコンの故障でお困りの方は、どうぞお気軽に(・∀・)ノ