僕は、甘えたです。甘えん坊です。そんな弱さを隠すように生きてきました。平成2年に離婚した父が、東京都江戸川区中央で亡くなっても、薬局で「救心」が欲しくなるほど、ドキドキはしたものの、涙は出ませんでした。斎場でも泣きませんでした。
かつて母は、短気で乱暴な父の防波堤になってくれました。何度も、何度も。いやあ、泣いちゃいけないんだけど、いざ母が亡くなったら、もしかしたら斎場でおいおいと泣いちゃうかもです。
母を支えるために働いてきた傾向があるのです。とても疲れました。看取るのは、今度はわたくしです。一人お見送りをします。一人でお骨を持ち帰り、一人で死亡届を書き、一人で宝塚市立すみれ墓苑に持って行きます(合葬墓地)
事あるごとに、「憲雄ちゃん、お花きれいね」と言って、情操教育を受けました。花と自分の生涯を重ね合わせているのでしょうか。花がきれいなことは、良いことなんだと、幼心に刻まれました。そういうことを、わたしは忘れない。もしも来世があるのなら、もしもこの世に「転生」というものがあるのなら、来世でも母親の娘に生まれたい。思いっきり美しい色白の遺伝子を受け継いで、今度があるのなら、母親顔負けの美人さんに生まれ変わりたい。強く、優しく、美しく。
なんというか、そんな複雑な思いで、夜中に一人泣きました。鼻水と涙がいっぱい出ました。鼻をかみました。何度も、何度も。阪神間モダニズムを体現した母のように、美しく生きて行きたい。身も、心も。優しさを強さにして生きて行きたいのです。
田所憲雄 拝
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