どうも(・∀・)ノ おじさんは、30歳を迎えるに当たって、悔いのない職場にしよう! というわけで、かような部門に所属することを許されました。何故って、職業訓練センターで、C言語とか、サーバー周り(Red Hat Linux や Apacheなど)も扱って来ました。なので、即戦力を期待されたみたいですね。また、一応、出始めだったサーバーOSである、Windows NT Server 4.0 も扱えたので、よけいに即戦力を期待されちゃいました。
ここでは、まだ会社が出来たての頃でしたので、いわゆる「プログラミング以外の何か」つまり「ユースウェア」専門で、単独で動いていました。ほんっとうに会社出来立てで、この名刺も、点線で切り取るアレです。前述の「パソコンフェスタ2000」にも出ましたね。JUA(日本ユースウェア協会)名義で、ですね。本当のシステム開発部は、ガチのプログラミングをやるところで、請け負って派遣されるのが常ですが、わたくしは、まだそこまでスキルが至っていなかったので、まあ、可愛く言えば「会社のお留守番」でしたね。ガチの開発屋さんがよく理解していない、サーバー周りとか、出張するにしても、大阪市内の取引先で「ウイルスが湧いた!」まあ、昔懐かしい「ニムダ」の頃ですよ。ようやく、サーバーOSに付随して動く駆除ソフトが出そろい始めたところでした。
いま、この会社では、大卒しか採用しない傾向にあるようですが、当時は専門卒も取ってくださいました。いま困っている「自律神経失調症をこじらせた何か」にかかったために、おかしな頭痛がして、ちょーっと自習できるパソコンも用意されていないところから、家庭的ではあったのですが、もう辞めよう、オラ開発に向かねえ! と決意したために、社員旅行も当初、ご辞退したのですが、せっかくだから、という理由でご一緒しました。交通の便は最高だったのですけどもね(阪急の始発駅に近いのです)
おかしな頭痛さえなければ、もう少し続いたのにな。あの頃から「自律神経失調症」がこじれていったのでしょうね。いま残っていれば、幹部社員なのになー、という感じで、惜しい気はしています。
お役に立てずに申し訳ございませんでした。ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さんはガチの開発屋さんにもいた ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
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